ホンダイタリア・NSR125F・アドリアティコ2(JC20型 – 1989年式)

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ホンダイタリア・NSR125F・アドリアティコ2
(HONDAITALIA NSR125F ADRIATICO2 – JC20型 – 1989年)
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珍しいホンダ車をご紹介します。イタリアから限定1,000台が輸入された、ホンダイタリア製の原付2種バイク、NSR125F「アドリアティコ2(ADRIATICO2)」です。
先に発売されたNS125Rアドリアティコ(TC01型 – 1987年)の後継機で、ネイキッドスタイルながら、アルミダイキャストフレームと可変排気バルブ(RCバルブ2型)方式の2サイクルエンジンなど、より本格的な走りを追求したコンセプトになっています。
恐らく当時の日本国内で人気を誇っていたTZR125への回答として、ホンダが1989年に限定輸入で市場投入したものと思われます。
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「アドリア海」の名を持つ、イタリア国旗色に塗り別けられた、この派手な125ccバイクは、イタリアの現地法人「ホンダイタリア・インダストリアーレ・SPA(Honda Italia Industriale SpA)」がヨーロッパ市場向けに製作したもので、日本国内ではホンダが1,000台を正規輸入し、販売した「輸入車」でした。
先に、イタリア国旗色のフルカウリング車、NS125Rが同様に限定輸入(500台)され、人気を得たのと、レーサーレプリカ全盛期の日本国内市場に於いて、125ccスポーツのクラスを席巻していたヤマハTZR125への対抗馬を持たないホンダが一石を投じたと云う形に思えました。
新設計のエンジンやアルミダイキャストフレームなど、NSよりもさらにスポーツ性を増した内容になっていました。
ブレーキ、アルミホイール、ピストン、キャブレター、エキゾーストシステムなどは、イタリア国内製のパーツで占められており、当時の日本では「イタリア製パーツ」と云うブランド志向的なイメージがありました。
スポーツ志向をより強化している一方、タンデムバーがしっかり装備されていることなど、本来ヨーロッパ向けのコンセプトであることが伺える仕様でもありました。
尚、ガソリンタンクは、樹脂製のタンクカバーに覆われている為、上部は蓋になっています。
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グリメカ社(GRIMECA)と云う、当時日本国内では聞きなれないイタリアブランドの2ポッドブレーキキャリパーによるシングルディスクブレーキを装備していました。(ステンレスメッシュホースは、メーカーの標準装備ではありません。)リヤブレーキもディスク式です。
タイヤもピレッリ社(PIRELLI)のMT45Dと云う銘柄が標準指定されていました。
運輸省(現・国土交通省)の型式認定プレートにも「ホンダイタリア」と記されておりました。
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メーターパネルも日本のホンダ標準のNS(日本精機)製のロゴが入っていないので、現地調達のパーツと思われます。
クラッチはワイヤー式でした。
エンジン回転計は、11,000rpmからがレッドゾーンになっていました。
クランクケースリードバルブ式の単気筒ですが、可変式の排気バルブシステムを一部電子制御している「RCバルブ2」を装備しており、高回転域での伸びを犠牲にすることなく、低回転域のトルク不足を補っていました。
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【こぼれ話】
この個体は、関西の部品交換会会場にて販売していた車両を取材させていただきました。ありがとうございます。
ホンダによる日本への正規輸入車は1,000台と云われている非常に珍しいモデルです。輸入車ゆえに販売価格もTZR125が30万円台前半であったのに対し、新車で445,000円の価格が付けられていました。
当時大流行だった峠の小僧には中々手を出せない価格で、イメージ的にはかなりリッチなバイクでした。
スポーツバイクと言えばフルカウリングが全盛期だった80年代に於いて、NSRが何故ネイキッドモデルだったのか、当時はちょっと疑問に思ったりもしていましたが時代が過ぎてみると、こちらの方が軽量車らしくて違和感が無くなっているのが不思議です。
わたしも当時はトップブリッジの下にハンドルが着いているのがレーサーレプリカらしいなんて思っていましたが、今ならアップハンドルに改造してジムカーナ仕様に・・・なんて考えてしまう歳になってしまいました。

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