フォーミュラマシン特集

【特集】

アルファロメオ179(Formula1 - 1980年)_01【フォーミュラマシン特集】
ここでは、1980年代~90年初頭までの様々なフォーミュラマシンをご紹介します。
フォーミュラ以外にも、レース専用車両と云うことで幾つかを交えています。
華やかな時代を駆け抜けた、地上の戦闘機たちをお楽しみくださいませ。


アルファロメオ179(Formula1 - 1980年)_02アルファロメオ179
(Alfa-Romeo Tipo179 – フォーミュラ1)
1979年~1981迄活躍した、アルファロメオのワークスF1マシン。
後ろに写真が飾ってある、ブルーノ・ジャッコメリ(Bruno Giacomelli)がドライブした。
Tipo179は、他に、179B~Dタイプまでがある。
パトリック・デュパイエ(Patrick Depailler)やマリオ・アンドレッティ(Mario Andretti)、アンドレア・デ・チェザリス(Andrea de Cesaris)などがドライブした。
特に、当時の日本での展示車両は、正確に当時のままではなく、この個体は1982年のTipo182のカラーリングが施されているようでした。


フェラーリ126C4(Formula1 - 1984年)_01フェラーリ126C4
(Ferrari 126 C4 – フォーミュラ1)
1984年シーズンを走った、ハーヴェイ・ポスルスウェイト(Harvey Postlethwaite)が設計した、ターボ時代のF1マシンです。
ステアリングを握ったのは、ミケーレ・アルボレート(Michele Alboreto)と、ルネ・アルヌー(René Arnoux)。


フェラーリ126C4(Formula1 - 1984年)_02Tipo031と云うエンジンは、1500cc 120度のV6ターボを搭載し、最高出力は800HPと言われています。
ターボF1らしく、かなり大きなウイングが特徴です。リヤタイヤも幅が広く、ド迫力です。
戦績は、ポールポジション1回、優勝1回を記録しています。


マクラーレンMP4-5Bホンダ(Formula1 - 1990年)マクラーレン・MP4/5B・ホンダ
(McLaren MP4/5B HONDA – フォーミュラ1)
日本人にはおなじみの、栄光のマシンです。
MP4/5Bは、アイルトン・セナ(#27)とゲルハルト・ベルガー(#28)のコンビが乗った1990年のマシンで、日本GPのスタート直後に、セナがプロストにカミカゼアタックを仕掛けたことでも有名です。
1990年のコンストラクターズ(製造者部門)と、セナがドライバーズチャンピオンになりました。


ブラバムBT59Yヤマハ(Formula1 - 1991年)ブラバム・BT59Y・ヤマハ
(Brabham BT59Y YAMAHA – フォーミュラ1)
1991年シーズンで最初の2戦だけ闘ったと云うレアなマシンで、1990年型の改良版シャーシに、ヤマハOX99型 5バルブV型12気筒エンジンを搭載しています。
ドライバーは、マーティン・ブランドル(Martin Brundle)と、マーク・ブランデル(Mark Blundell)の英国人コンビでした。


シェブロンB36BMW(FujiGrandChampion - 1978年)シェブロン・B36・BMW
(Chevron B36 BMW – 富士GCシリーズ)
シェブロンB36のGC仕様です。1978年に富士グランチャンシリーズを走ったようです。
B36は、スポーツカー世界選手権でも活躍したマシンで、フォードエンジンを搭載していたり、GCでもマツダロータリーを搭載したマシンもありましたが、この個体はBMW M12/6(多分F2用エンジン)を搭載しているようです。
今や、大変希少な一台です。


ウエスト85Sマツダ(SportscarJunior - 1985年)_01ウエスト・85S・マツダ
(WEST 85S MAZDA – SJ/RJクラス)
ウエストレーシングカーズが制作した、SJ(スポーツカージュニア)、RJ(ロータリージュニア)レース用のマシン。
プチグランチャンマシンと云ったいでたちで、風の当たるシングルシーターの本格的なスポーツカーの形をしており、当時の鈴鹿1000kmなどのスポーツカー耐久レースにも出場出来るよう、ヘッドライトを装着出来るようにカウルに型が着いています。


ウエスト85Sマツダ(SportscarJunior - 1985年)_0SJクラスでは、スバルの水平対抗式4気筒1800ccエンジンやマツダ12A型のロータリーエンジンを、RJでは、マツダ12A型ロータリーエンジンを搭載していたようです。
シェブロンB36のように角ばっていた83Sからのモデルチェンジで、85Sは、丸みを帯びて、当時のGCマシンの風体に仕上がっており、全体的にとてもバランスの良く、かっこいいデザインになっています。


ウエスト84Jスバル(Formula Junior 1600 - 1984年)ウエスト・84J・スバル
(WEST 84J SUBARU – FJ1600)
こちらは、ウエストレーシングカーズが制作したFJ(Formula Junior)1600用のフォーミュラマシン。
全国各地のレースで、東京R&DのFJマシンと激闘を繰り広げました。
エンジンは、元々スバル・レオーネ用の水平対向型4気筒1600ccをFJ用に仕立てたものがワンメイクで積み込まれていたようで、レオーネの生産が終了した後も、FJ用にこのエンジンはスバルが提供していたと、当時聞いたことがあります。


マーチ822トヨタ(Formula2 - 1983年)マーチ・822・トヨタ
(MARCH 822 TOYOTA – フォーミュラ2)
こちらは、珍しいトヨタエンジン搭載の全日本F2選手権用のマシンです。
レイズ・レーシング(ホイールメーカーのボルクブランドの会社)のカラーリングです。
シャーシは、英国マーチ社の82年のF2用シャーシですが、この個体は、1982年に坂本典正選手が搭乗し、1983年には、故・小河等選手がF2デビューで搭乗したマシンと思われます。
エンジンは、トヨタ18RG-改で、直列4気筒2,000ccでした。


マーチ842BMW(Formula2 - 1984年)マーチ・842・BMW
(MARCH 842 BMW – フォーミュラ2)
こちらは、わたし世代には懐かしい「佐川急便スピードスターマーチ」、伝説の4冠王、長谷見昌弘選手のおなじみのカラーリングです。
このマシンが活躍した1984年は、F2(Formula2)最後の年で、翌年からは欧州ではF3000に、日本ではリブレ規定JAF-F2(F3000移行に向けた暫定処置)と云うカテゴリーになりました。
エンジンは、BMW M12/7 直列4気筒 2,000ccでしたが、ホンダRA263Eに全く歯が立たず(スリップストリームにすら入れないほどの差)、結果、F2レースの終焉を迎えることになりました。


マーチ86Bコスワース(Formula3000 - 1987年)_01マーチ・87B・コスワース
(MARCH 87B COTHWORTH – F3000)
1985年、86年と、2年間のJAF-F2規定でのレースを経て、1987年には、再び国際格式に戻り、日本でもF3000レースが行われるようになりました。
こちらのマシンも、「佐川急便スピードスターマーチ」で、長谷見昌弘選手車ですが、87年シーズン当初は、このマーチ87Bで戦いましたが、この年はローラT87/50シャーシの方が戦闘力が高かったようで、途中からはローラ製シャシーに換わりました。


マーチ86BコスワースDFV(Formula3000 - 1987年)_02エンジンは、コスワース・DFVで、DFVは、元々はF1用のエンジンです。
スペックは、90度 V型8気筒 DOHC 2,993ccで400馬力前後を出していたようです。
マーチ87Bシャシーと組み合わされた場合、写真の網状のファンネルカバーのほかに、インダクションポッドを装備したものもあったようです。


マーチ87Bホンダ(Formula3000 - 1987年)マーチ・87B・ホンダ
(MARCH 87B HONDA – F3000)
F2を席巻したホンダV6パワー(RE387E)搭載のF3000マシンです。
EPSONカラーと言えば、中島悟選手ですが、87年には既にF1パイロットに昇格していましたので、F3000では、いぶし銀の走りこと、鈴木利男選手がドライブしました。
しかし、磐石の態勢ではあるものの、日本一速い男、星野一義選手も日産の特例措置を得てフォーミュラではホンダパワーを許されていたことや、コスワースDFVの改良版、ヤマハOX77エンジンの活躍などで、1勝に留まり、シリーズランキング5位と云う結果でした(その後、鈴木選手は95年にチャンピオンを獲得)。


ローラT90-50無限(Formula3000 - 1990年)ローラ・T90/50・無限
(LOLA T90/50 MUGEN – F3000)
フットワークカラーが懐かしいローラは、エンリコ・ベルッタジア(Enrico Bertaggia)選手がドライブしたマシン。
エンジンは、無限 MF308で、90度 V型8気筒 DOHC 2,997ccで450馬力以上を発生していました。
ベルッタジア選手は、マカオF3の1988年の勝者でしたが、全日本F3000に参戦した90年シーズンでは入賞1回のみと云う戦績でした。


ローラT90-50無限(Formula3000 - 1991年カラー)ローラ・T90/50・無限
(LOLA T90/50 MUGEN – F3000)
90年代のキャビンカラーと云えば、おなじみ日本一速い男、星野一義選手のマシンです。
このローラT90/50は、前年チャンピオンのカーナンバー1ですので、1991年シーズン初頭を闘ったマシンと思われます。
エントラント名は、CABIN RACING TEAM With IMPULでした。
91年シーズンは、同じくキャビンカラーでローラにDFVエンジンで闘った、片山右京選手がチャンピオンに輝いています(こちらのエントラントは、ヒーローズレーシングとなっています)。


ラルトRT23無限(Formula3000 - 1991年)ラルト・RT23・無限
(RALT RT23 MUGEN – F3000)
ロン・トーラナック(Ron Tauranac)率いるラルト・エンジニアリング製のシャシーで、ラルトは、F2時代の名機”RH-6″を造ったシャシーメーカーです。この伊太利屋カラーのRT23は、1980年にラルト・ワークスをヨーロッパF2チャンピオンに導いた、ジェフ・リース(Jeoff Lees)選手がドライブしました。
また、この1991年に全日本F3000niスポット参戦したミハエル・シューマッハ選手もラルトRT23を使用していたようです。


タンデムフォーミュラ(Formula Nippon - 1999年)タンデム・フォーミュラ
(The Tandem Formula – Circuit Experienced Machine)
最後に、番外編的なフォーミュラをご紹介します。
1999年のフォーミュラ・ニッポン最終戦に登場した、「タンデム・フォーミュラ」です。
ソニーがバックアップして、本物のフォーミュラのシャーシを、2名乗車に改造して、実際に200km/hオーバーで走る事が出来るマシンです。
レース開催日当日に抽選が行われ、幸運なお客さんが、プロレーシングドライバーの操縦するこのマシンの後部座席で、フォーミュラ体験が出来るという優れものです。
最近でも、FNやF1などで、この手の体験イベントが行われていますが、日本では、このマシンが最初だったと記憶します。
【こぼれ話】
ここに掲載しましたのは、全て、わたしが長年撮り溜めた写真から紹介しました。
しかし、学生時代の写真などは特に、詳細な記録も残しておらず、一見、違いが微妙で見分けのつきにくいフォーミュラカーの年式、形式の判別は、想像を絶する大変な作業でした。
当サイト開設当初から、写真は集めてあったのですが、2年以上経って、ようやく公開できる形になりました。
ラルトRT23については、Webで調べ物をしている時に、以前わたしが創っていた、このサイトの全身「Beautiful old Cars Nostalgia」に掲載していたときの写真と、キャプションまで一部そのまま公開しているサイトがあって、びっくりしたこともありました(ちなみに、ここに掲載しているRT23の写真そのものです)。
まぁ、そんなこんなで羽陽曲折あって、ようやく公開できてほっとしています。
どのマシンも、ほんとに熱い時代を伝える文化遺産です。今でもどこかできっと、大切に保存されていることと思います。

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